地獄の出口を求めて

おじさんの地獄生活の記録。某国立大で博士号を目指して研究に従事。しかしギャンブルにハマり多重債務者になり借金を背負っての地獄の日々。地獄からの脱出のために日々思ったことやったことをここに綴りたい。

怯えて生きるな

 今日も操られるままパチンコ。今月の借金の返済分まで稼げたけど…。そういう問題じゃないんだよな。パチンコを打った時点で負けてる。自分に負けてる。依存症に屈している。こんな風に毎月借金を返済していてはダメだ。まっとうな人間のやり方ではない。そもそも勝ち続けることは不可能。こんなことしていたらそのうち痛い目に合う。というかもうすでに大火傷しているんだけど。と言いつつ明日も起きたら依存症の悪魔の囁きが待っているんだろうな。さっさと負ける前に今月分の借金を返済したい。


 なかなか寝付けずに布団の中で悶々としていたら一つ悟ったことがあった。自分はなぜいつも寝付けないのか。考えてみることにした。まず初めに思ったことは脳の中の思考を止めることができていないからという答えに辿り着いた。余計な思考が頭の中を永遠とループしているから脳が休まらないから眠れない。ではその思考の内容はなんなのか。一つ一つ頭の中の思考を吟味してみると借金のこととか将来に対する不安だとか研究室で誰かに叱られたりしたらどうしようとか。そこで気づいたことは自分はいろんなことに怯えているってこと。そして自分に自信がないこと。借金に関してはそのままでいつか返済能力がなくなって自己破産に追い込まれたらどうしようという思考だ。将来の不安というのはもう四十という年齢をもうすぐ迎えようとしているにも関わらず博士号も修得していなければ就職もしていない。そして絶えず誰かに怒られたり叱られたりしたらどうしようという思考は子供の時からのトラウマ。親父は厳しいというよりはいつも怒っていた記憶しかない。親父との楽しい思い出を頑張って思い出そうとしても何一つ出てこない。逆に親父に怒られたときの記憶は今でも鮮明に思い出せる。自分の立場からすれば怒られることは多くの場合理不尽だった。どうして怒られているんだろうとかそんなことで怒らなくてもいいのにという思いが強かった。やがて歳をとったらこの子供の頃の経験が怒りに対する恐怖へと変貌した。別に自分がその怒りの対象じゃなくても怒りをあらわにしている人間を目の当たりにすると恐怖を感じるようになっている。


 そこで自分に怯えるな、恐れるなと言い聞かせてみた。物事はなるようにしかならない。未来にこうなったらどうしようああなったらどうしようと考えるのは不毛で無意味。精神医学で言う予期不安というものだ。まだ起きてもいないし起きるかどうかもわからないことに対して不安になって防衛策に関して思考を巡らせても何も意味がない。時間の無駄だ。昔から好きだったベストキッドの映画の中の宮城先生のセリフを思い出した。相手に負けてもいい、だが恐怖に負けてはいけない。その通りだな。そう自分に言い聞かせてみたら自然と無駄な思考が止まり体から力が抜けていくのを感じた。そしてそのまま眠りにつけた。確かに今の自分の人生はボロボロに崩壊している。だからと言って怯えて生きてはダメだと思った。もう怯えて生きるのはやめた。時間はかかるだろうけど少しずつ自信をつけていって自分の中の恐怖を払拭しよう。そのときがくるまでは恐怖を感じたらそれと徹底的に闘ってやろうじゃないか。