地獄の出口を求めて

おじさんの地獄生活の記録。某国立大で博士号を目指して研究に従事。しかしギャンブルにハマり多重債務者になり借金を背負っての地獄の日々。地獄からの脱出のために日々思ったことやったことをここに綴りたい。

パチンコが奪うもの

 パチンコ依存症になって何を失ったかあるいは何をこれから失うであろうか考えてみた。他の依存症に当てはまるかどうかはわからないけどギャンブルに依存することは本質的には酒や薬などの物質に依存することとさほど差はないと思っている。ギャンブル依存者がなぜ博打をやめられなくなるかというと脳内麻薬とも言われているエンドルフィンに対する依存性があるからであって、エンドルフィンも体の中で作られる強力な依存性を持つ化学物質だ。


 まずシンプルにストレートに考えると金と時間を失う。人にとっては生命線だ。ギャンブルにつぎ込んだ金を今まで全部貯金していたらどれほどの金額になっていただろう。そしてそのお金使って今頃はどれほど今とは質の違う生活を送っていただろう。多分普通の人あるいはそれ以上の生活ができていたかも。莫大な時間も無駄にしてきた。これはパチンコ依存特有なのかもしれない。パチンコを打つってことは時間のかかることだ。下手した朝から晩までパチンコ屋に拘束されることだってある。その時間を例えば研究や勉強に回していたら今頃博士号はとっくに修得できていただろう。そして留学もできていたかもしれないし今の自分の年齢から考えると助教か准教授になれていたかもしれない。


 もう一つ破壊されるものは金銭感覚だ。この前コンビニに晩飯を買いに行ったときに店に貼ってあったバイトの募集を見たのを覚えている。時給850円とか900円とか書いてあってアホくさいと思ってしまった。もちろんこの考えは間違っている。一時間働いて貰える900円は貴重な金だ。ただパチンコ依存者の破壊された金銭感覚からすると900円という金額はパチンコで一瞬で消える金額でもあり運良く当たったらものの数秒で稼げる金額だ。この壊れた金銭感覚が普段の生活にも流れ込んでくる。そうすると節約しようという思考も皆無になるし自然と金使いも荒くなる。


 健康面でもパチンコホールという環境は最悪だ。タバコの煙で充満しているし絶えず爆音がなっているから家に帰ってきても耳がキーンと鳴ってるし。長期的に見たらガンになるリスクも高くなるだろうし難聴にもなるんだろうな。何かの記事か本で読んだことがあるけど普段パチンコを打たない人にとってはパチンコホールっていう環境は拷問部屋とさほど変わらないらしい。人によっては頭痛がしたり吐きげを催したりするらしい。そんな環境の中で平気で一日過ごせる人間ってやっぱり明らかにおかしい。というか壊れているに違いない。それにほとんどの時間椅子に座っているわけだから運動不足に陥るし体力の低下にもつながる。これは合気道の稽古に行くと嫌という程自覚する。大して動いてもいないのに汗が滝のように流れ息が切れる。まったくなさけない。


 今までパチンコに依存することによってたくさんのものを失ってきた。下手したらもう取り返しのつかないところまで行っているのかもしれない。そしてパチンコをやめなければこれからもたくさんのもが奪われる。本気で自分に打ち勝って人生を奪還したい。

心が軽視される時代


 今週は具合が悪くて何も手につかなかった。体調というよりは心労と言った方が正確だろうか。とにかくいろいろと疲れた。パチンコをやめようとしているにも関わらず毎日のように気が付いたら自分の足がパチンコ屋に向かっている自分が嫌だ。そして負けた時の行かなければよかったという後悔。また、パチンコに行く、行かないは自分の意志ではコントロールできないのかもと思うと絶望が一気に肩にのしかかってくる。やはり依存症というものは一個人の意志でどうにかなるものではないのであろうか。とにかく今日で金は尽きた。明日は打ちたくても打てない。これをチャンスだと思って明日一日はしっかりと体から毒を抜いておこう。そして明日をきっかけにパチンコの衝動に抗える力が湧いてくることを祈ろう。


 鬱の症状も今週は重く出た。金曜はラボの論文紹介の集まりの当番だったけど何をしても気力が湧いてこず、ラボのみんなに頭を下げて休ませてもらった。社会人になれたらいいなと思っている人間にとっては致命的だ。会社にとって重要なプレゼンを気力が湧かないから中止にさせてくれと言っているようなものだ。このままでは会社に就職できたとしても務まるわけがない。気力がないときに気力を出す方法があれば一番良いのだけれど、そんなものはあるはずもなく気力が底を尽きてしまったときは休む以外なにもできないというのがうつ病だ。自分の場合は気力がなくなり休んでしまうとそれがまた罪悪感になりさらに頭の中のネガティブ思考が増幅される。自分はダメな人間だとか、自分はもう生きていけない、そのうち自らの手で人生を終わらせざるを得なくなるという考えだ。


 子供の頃に描いた将来はこんなものではなかった。正直子供の頃に何かなりたい職業があったかというとなかった。毎日学校に行って友達とくだらない話で笑ったり、今振り返って考えてみればそんなことをして何が面白いのかと思ってしまうようなことばかりして毎日を楽しく過ごしていた。その日暮らし。でもあの頃はそれでよかった。毎日友達とバカばっかりしていても何も勉強にならないと思うかもしれないけど、あの頃の経験が今の自分の礎になっている。友を思いやる気持ちや他人の気持ちを察する能力。難しい言葉で言えばエンパシー。最近亡くなってしまった世界で一番頭が良いと言われていた宇宙物理学者のスティーブンホーキング博士は人間にとって一番大事なものはエンパシーだと言っていたと聞いたこともある。そのくらいの能力なら誰でも持っていると思う人もいると思うけど、以外とこの能力を持ち合わせていない人が多いというのは今まで自分が出会ってきた人間を見れば明らかである。だから自分が他人と共感しその人の考え、心で感じていることを理解できることを誇りに思っている。数少ない誇りに思える自分の一部だ。この能力を何かに生かせればいいのにと思うこともあるけど何も思いつかない。今の世の中は知能指数、つまりIQを重視して心の知能指数であるEQに至ってはEQなんて聞いたことがないという人間で溢れかえっている。それだけ人の心は軽視されているのかも。人は自滅する生き物だと言われるけどあながち嘘ではないかも。

道の終わり

 今日は久しぶりに研究室に行ってきた。二週間ぶりだろうか。下手したらそれより長く休んでいたかも。疲れた...。こんなにも疲れるものなのかと思った。以前はこれほどすり減るように疲れたりはしなかったけど久々に行くとやっぱり疲れも大きいものなのだろうか。相変わらず雰囲気が悪かった。研究室の色は教授によって決まると言われることもあるけどうちの教授はいろんな意味でダメであって一人の人間として見てみればヘドが出るくらい最低の人間だ。自己中心的で、ずるくて、腹黒くて。世の中には良いラボもあるしだいたいそういうラボはボスがしっかりとした人格者の場合が多い。だから教授の人柄がラボの雰囲気を左右するというのは本当なのかもしれない。とにかく自分は今のラボに来て研究が嫌いになった。本当は研究が好きで学問が好きだったのに研究の世界の汚い部分を今のラボで見てしまったような気がして研究が好きだと言う気持ちが少しずつなくなっていったのであろう。今は研究室に行くのが苦痛だ。今日はラボに行ったら気分が悪くなり家に帰った今でも気分が悪い。ブラック企業に勤めている人の気持ちってこういうものなのだろうか。明日も行かないといけないと考えると気分が沈む。なるべく考えないようにしよう。


 しかし雰囲気が悪いし気分を害するから研究室に行きたくないとか言っている場合ではないのかもとも思う。これから転職活動をして企業に雇ってもらおうとしている人間がそんなことで欠勤しているようでは会社勤めは到底かなわないであろう。会社だったらクビになるに間違いない。少しは辛抱が必要なのだろうか。よくわからないわ。


 自分はこれからどうすれば良いのであろう。研究の世界でやって行くのはもう嫌だというかもう不可能であろう。博士号がとれない可能性が高いし。会社に勤めた経験がないからわからないけど正直言ってあまり就職することに対して気が進まない。そもそも大学院へ進学し会社に就職することを選ばなかった理由の一つに会社員になりたくなかったというのもあった。親父は筋金入りの会社員だ。ただ親父が楽しそうにしているところなんて一度たりとも見たことがない。ただ死んだように毎日出勤して疲れ果てて帰ってくる。毎日がその繰り返しだった。だからサラリーマンというものはそういうものだと自然と刷り込まれたのかもしれない。ゆえに会社員にはなりたくないと自然と思うようになったのかもしれない。


 最近はよくこれからの人生どうしようと考えることが多い。そして今の自分に考えられる選択肢を目の当たりにすると正直どれもやりたくない。そして最終的に至る考えはもう死んだ方がいいのかもという考えだ。死に関してよく考えることがある。本当に楽になるのか、死の向こうに別の世界があるのか、現世の悩みや苦しみから解放されるのか。今の自分には現世の苦しみや悩みを全部ひっくり返して逆転人生を目指す気力はない。もう消耗しきっている。こういうときは神にでも祈っておいた方が良いのだろうか。そもそも神が本当に存在するのであれば何故に自分をここまで苦しめるのか。神が存在するのであれば神の意志が知りたい。

怯えて生きるな

 今日も操られるままパチンコ。今月の借金の返済分まで稼げたけど…。そういう問題じゃないんだよな。パチンコを打った時点で負けてる。自分に負けてる。依存症に屈している。こんな風に毎月借金を返済していてはダメだ。まっとうな人間のやり方ではない。そもそも勝ち続けることは不可能。こんなことしていたらそのうち痛い目に合う。というかもうすでに大火傷しているんだけど。と言いつつ明日も起きたら依存症の悪魔の囁きが待っているんだろうな。さっさと負ける前に今月分の借金を返済したい。


 なかなか寝付けずに布団の中で悶々としていたら一つ悟ったことがあった。自分はなぜいつも寝付けないのか。考えてみることにした。まず初めに思ったことは脳の中の思考を止めることができていないからという答えに辿り着いた。余計な思考が頭の中を永遠とループしているから脳が休まらないから眠れない。ではその思考の内容はなんなのか。一つ一つ頭の中の思考を吟味してみると借金のこととか将来に対する不安だとか研究室で誰かに叱られたりしたらどうしようとか。そこで気づいたことは自分はいろんなことに怯えているってこと。そして自分に自信がないこと。借金に関してはそのままでいつか返済能力がなくなって自己破産に追い込まれたらどうしようという思考だ。将来の不安というのはもう四十という年齢をもうすぐ迎えようとしているにも関わらず博士号も修得していなければ就職もしていない。そして絶えず誰かに怒られたり叱られたりしたらどうしようという思考は子供の時からのトラウマ。親父は厳しいというよりはいつも怒っていた記憶しかない。親父との楽しい思い出を頑張って思い出そうとしても何一つ出てこない。逆に親父に怒られたときの記憶は今でも鮮明に思い出せる。自分の立場からすれば怒られることは多くの場合理不尽だった。どうして怒られているんだろうとかそんなことで怒らなくてもいいのにという思いが強かった。やがて歳をとったらこの子供の頃の経験が怒りに対する恐怖へと変貌した。別に自分がその怒りの対象じゃなくても怒りをあらわにしている人間を目の当たりにすると恐怖を感じるようになっている。


 そこで自分に怯えるな、恐れるなと言い聞かせてみた。物事はなるようにしかならない。未来にこうなったらどうしようああなったらどうしようと考えるのは不毛で無意味。精神医学で言う予期不安というものだ。まだ起きてもいないし起きるかどうかもわからないことに対して不安になって防衛策に関して思考を巡らせても何も意味がない。時間の無駄だ。昔から好きだったベストキッドの映画の中の宮城先生のセリフを思い出した。相手に負けてもいい、だが恐怖に負けてはいけない。その通りだな。そう自分に言い聞かせてみたら自然と無駄な思考が止まり体から力が抜けていくのを感じた。そしてそのまま眠りにつけた。確かに今の自分の人生はボロボロに崩壊している。だからと言って怯えて生きてはダメだと思った。もう怯えて生きるのはやめた。時間はかかるだろうけど少しずつ自信をつけていって自分の中の恐怖を払拭しよう。そのときがくるまでは恐怖を感じたらそれと徹底的に闘ってやろうじゃないか。

心の闇

 まさに地獄。自分をコントロールする力がまったくないと思った。眠りたいときに眠れずやらなければならない様々なことも無気力すぎでできず。自分は支配されている。そしてこの支配に抗うことは難しい。もしかしたら不可能なのかもしれない。依存症と鬱によって脳も心も自分で制御できるものじゃなくなっているのかもしれない。脳と心。この二つは人間を動かし、あらゆる人の活動の原動力になっている。これらが汚染され自分で制御できなくなってしまってはもう自分の意思なんて関係ない。ただ支配されるがままに行動するだけの生き物になり下がりもはや人間ではない。少しずつでもいいから人間らしさを取り戻していきたい。でもどうすれば。いくら考えても答えが出ない。自分がそれだけ無知で愚かだということなのか。


 でも本当に自分を支配している黒幕はやはり圧倒的な絶望感。もう何をしても救われないという絶対的な思い。パチンコ依存は禁パチに何度も挑戦しているけど勝てない。パチンコを打たずに数ヶ月過ごせたこともあり、このまま二度と打たなくて済むと思っていた時期もあったけどやはり脳に巣食った悪魔っていうものは少しの隙があれば再び姿を現す。うつ病に関してはもう10年近く治療を続けてきたわけだがいまだに通院、服薬をしている。突然襲ってくる無気力状態で行動不能になったり自分の制御が及ぶ範疇を超えている。何か具体的な打つ手があればそれにすがればまだ希望はある。でも今の自分には何も打つ手がない。自分でもどうすれば改善するかわからないでいるし、道を示してくれる人もいない。


 今日は久々に電話で母親と話した。パチンコ依存と借金のことはいまだに話してはいない。そんなことを話したらどうなることやら。うつ病のことは知ってはいるけど精神医学に関する知識が全くない人間には理解しがたいものなのであろう。いまだに頑張れとか気の持ちようとか言ってくる。全くわかっていない。そいうことができないのがうつ病なんだ。だからパチンコ依存のことも借金のことも話す気になれない。恐らくなんの理解も示してくれないであろう。ただただ叱責され勘当され、それで終わり。その母親が就職なんかしてもちゃんと務まるのかと言ってきた。確かにそうだと思った。今の状態で社会人になれるわけがない。こんなドス黒いものが身体中に充満している状態では社会人どころか人間らしいことなんか何一つできないだろう。


 こうなったら今の自分の精一杯で自分の闇に抗うしかないだろう。自分の精一杯なんて微々たる力で負け覚悟で自分に挑むことになると思うけどこのまま何もしなければ自分は野垂れ死ぬ。一歩ずつでも構わない。少しでも人間に戻れたらそれでいい。たまに闇に支配される前の自分のことを思い出すことがある。幸せだった日々、楽しかった日々。特に子供の頃ニューヨークに暮らしていた頃のことを思い出すとあのときの心を取り戻したいと思ったりする。おっさんが子供のころの心を取り戻すことが可能なのかはわからないけど、やってみないとわからないか。