地獄の出口を求めて

おじさんの地獄生活の記録。某国立大で博士号を目指して研究に従事。しかしギャンブルにハマり多重債務者になり借金を背負っての地獄の日々。地獄からの脱出のために日々思ったことやったことをここに綴りたい。

パチンコの正体

 今日はパチ屋に行かずに済んだ。起きたら衝動はあったが行かずに一日寝ることにした。小さな前進と言って良いのであろうか?とりあえず一日はパチンコなしで過ごすことができた。この積み重ねが大事。明日も衝動に捕らわれないことを祈ろう。


 近所のパチンコ屋にいつも行っているのだけど、いつ行っても絶対にいる客がいる。いわゆる常連。前から思っていることがある。彼らは一体何者なのか?社会の中で生きていくには仕事も収入も必要なのは当たり前。でも一日中、しかも毎日パチンコ屋にいるのだったら仕事はいつしているのであろう?何も仕事をしなくても今の日本の社会では金を手にする方法はいくつもある。生活保護、年金、学生だったら親から金を無心することができる。実際にパチンコ屋に行くとこういう類の常連がいる。明らかに学生な常連で朝から晩まで毎日いる奴。服装がぼろぼろでホームレスに近い姿をしている奴。定年後の老人みたいな人。全員パチンコに毒されている人間。見方によっては被害者だ。パチンコは人によっては麻薬に匹敵するくらいの中毒性がある。いったん依存してしまえば一生抜けることができないという専門医もいる。今更だけどパチンコになんかに初めから手を出さなければ良かった。人生がだいぶ変わっていたであろう。研究者として今頃成功をおさめていた可能性だって十分にある。高校生の時に初めてパチンコを打った。親も気付いていた。なぜ止めてくれなかったのか。親を逆恨みしたい気持ちも少しはある。


 人は一日一日を積み重ねて少しずつ人生を前進させていくものであると思う。パチンコはこの積み重ねを抑制するものであり、パチンコ屋で過ごした一日は無駄な一日になる。その日の分の人生の積み重ねはなし、前進はなし。そしてパチンコについに依存してしまい毎日行かないと発狂してしまいそうになるレベルまでなってしまうと人生の前進はフリーズする。人によっては何ヶ月、何年という単位で人生が止まり先に進めないまま囚われる。そして気が付いたら何も達成しないままただただ歳をとってしまっている自分に気付く。周りは結婚したり、子供が生まれたり、車やマイホームを購入している中で自分はそういうものから遠い場所にいることに気付く。パチンコ屋は昔歴史の授業で教わったアヘン窟を連想させる。廃人を生産するためだけに存在し、その過程でパチンコ屋を経営している側とそれに関連する団体が潤う。可能性に満ちた一人の人間を廃人にしてしまう施設が数百メートルごとに乱立する今の日本の社会は壊れている。一部のエリート層が民衆を食い物にしていい生活をできるような仕組みになっているようにしか思えない。民衆にパチンコは大衆娯楽であり賭博ではないと訳のわからないメッセージを刷り込ませどんどん民衆を地獄に陥れている。笑わせるな。回り回って天罰は必ず下る。